コカ・コーラは炭酸飲料のみならず、世界的に愛飲されているジュースや飲み物の中でも特に有名になったブランドでしょう。
この、特徴的な炭酸飲料はいかにして現在のようなブランドを確立したのでしょうか。
コカ・コーラのビジネスモデルについて紹介します。
コカ・コーラの歴史
コカ・コーラは、南北戦争で負傷したペンバートンという方が開発したものです。ペンバートンは、負傷した際の痛み止めとしてモルヒネを使用しているうちに中毒となってしまいました。
そして、1885年にその中毒を治すために、当時注目されていたコカインを使って代用の酒を作れるのではないかと考え、コーラの実を取り入れた、グレンチ・ワイン・コカという薬用酒を痛み止めや精力増強に聞くとして販売を開始しました。
当初は順調に売れたものでしたが、コカインの中毒性や禁酒運動が重なったことにより、この製品が売れなくなってくる恐れがあると考えたペンバートンは、ワインではなく、炭酸水をベースにシロップを足すことによって新たな商品開発を行いました。
これが、現在発売されているコカ・コーラとなるのです。
コカ・コーラのマーケティング
コカ・コーラは独特な見た目と、他の飲料では味わうことのできない風味を持っていたために、またたく間に有名となり、アメリカ国内では非常に順調に売れ行きを伸ばします。
特に、コカ・コーラを国民的な飲料へと引き上げたのが、エイサ・キャンドラーという経営者に代わってからです。
エイサ・キャンドラーは、コカ・コーラ・カンパニーを立ち上げて、大量生産と安価な提供に加えて、コーラの原液については完璧な秘密とすることによってだれもまねできない味を、独占することとなりました。
ボトラーとフランチャイズ
コカ・コーラの流通の手段として確立されたのが、ボトラー制度です。
大量生産と言っても、アメリカは日本と違って広大な国土を持つために、当時の運輸技術では工場のあったアトランタから全国へ届けるのは難しいことでした。
そのため、瓶詰め方式を徹底したうえで、アトランタの製造工場では、コーラの原液と周辺で消費される分のみを生産するようにしたうえで、その他の地域には、新しく瓶詰めするボトリング工場を設営して、そこへ原液のみを配送することで流通手段を確立していきました。
この際に、現地のボトリング工場とアトランタの親ボトラーとの間にフランチャイズ契約を結ぶことによって、普及を手伝うようになりました。
これが、現在でも小売業者が全国展開のために取る手段の一つであるフランチャイズの原点であり、ここまで大規模に展開したのは、コカ・コーラが初だったとされています。
コーラの利益率
現在では、世界中の国々に、フランチャイズ契約を交わしたコカ・コーラのボトラー会社が存在しています。
この制度の、一番の特徴は、原液以外はすべて現地生産現地配給となるために、運輸コストや品質維持に関して融通がききやすいことです。
また、全ての工場がアトランタ本社の管理下に置かれているため、利益の回収は原液によってほとんど賄えることができ、工場では他の飲料商品の開発を行って売ることもできるため、ウィンウィンの関係性を築くことができやすいことも言えます。
このように、開発された当初から、安価で販売できた理由は、コーラそのものは短際水と、味付けのための原液、そして香味料しか商品原価にならず、ここにペットボトルの原価を足して金額が生産コストとなります。
このため、原価は20円とも30円とも言われており、いかに利益率がいいかを証明しています。
できるだけ、安価な物をブランドイメージによって高く売る。
これは、現代でも通用する、メーカーの最善種の一つでしょう。