ラリー・エリソン

かわいそうな生い立ちから世界屈指の億万長者になったラリー・エリソン

ラリー・エリソンはニューヨークブロンクスに生まれました。
しかし9歳のころ肺炎を患ったことで彼の母親は当時なんと19歳、若く知識もない状態でどうしたらいいかわからず、シカゴの親戚の家に彼を養子に出しました。

ブロンクスからシカゴ南東部の親戚の家に引き取られたラリー・エリソン氏は不動産事業を行っていた養父の元、成長、12歳まで養子であることを知らず幸せに暮らしたのですが、世界大競合にあったことで養父の会社が倒産、その後、養父はある企業の監査として働き始めます。

非常に自立心が高い少年だったラリー・エリソン氏は当時、養父とよくケンカをしていたようですが、数学、科学が特に優秀で、最優秀生徒として表彰を受けるなど、当時から優れた才能を発揮していました。
しかし、大学2年で養父が亡くなりそこでイリノイ大学を退学、シカゴ大学に入学するものの、また中退、結局彼はシカゴで学んだコンピューターの基礎知識をもってカリフォルニアバークレーに引っ越します。

才能の開花と起業

彼はその日に暮らせるくらいのお金しか持っていない状態で、とにかく生活するために何度も転職しながらプログラマーとしてのスキルや経験を積んでいき、IBMのメインフレームシステム構築にかかわる仕事をします。
こうしたチャンスや、8年にもわたる転職生活の中、培ったスキルによって彼はついに起業します。

1997年、ロバート・マイナー、そしてエド・オーツと3人でソフトウエア開発ラボという会社を設立します。
こうして働く中である1冊の本を巡り合い、SQLというコンピューター言語に目をつけます。
この本の著書すらSQLへのビジネス性に気が付かなったのに、彼はここにビジネスチャンスがあると考えたのです。

彼らはCIAのリレーショナル・データベース管理システムについて構築の2年契約を交わし、これが今に名高いコードネーム「オラクル」でした。
契約の中で1年という短い期間でプロジェクトを終了させ残りの時間を商用アプリの開発に活かし、最終的に彼らが作り出したリレーショナル・データベース管理死システムもオラクルと名付け、その後、躍進的な活躍が始まります。

アップとダウンを経験し最終的に復活へ

躍進的に伸びた彼らの会社はどんどん業績を伸ばし、オラクルに関しての収入は7年間毎年、2倍ずつ増加していきました。
株式公開された1986年には、31億円という状態になっていたのですが、この中に不正があったということで業績が悪化します。

資本が80%下降したことでもう倒産以外ないだろうと思うくらいに業績が傾いたのですが、ここでラリー・エリソン氏はあきらめなかったのです。
会社役員を経験と実績のある役員へ入れ替え、自分は商品開発に集中しました。
その後、オラクル7がリリース、このことが地位の確立につながり、ラリー・エリソン氏の復活となったのです。