南場智子

モバイル黎明期から急成長したメガベンチャー企業の創始者

南場智子(なんばともこ)氏は、モバイルアプリ黎明期に急成長した株式会社ディー・エヌ・エーの創業者です。
ディー・エヌ・エーは1999年3月に設立された会社で、当時は有限会社としてスタートをし同年9月に株式会社へと組織変更をしています。

創業初期に大きな話題となったのがオークションサイトの「ビッダーズ」で、1990年代に大人気となったネットオークションができるツールとしてヤフオク!と並ぶ存在として有名になりました。

しかし運営方針として他のオークションサイトでは取り扱っていなかった生体(昆虫類)を許可していたというところで問題になり、結果的に法律で生体出品廃止とされたことによりオークション事業は縮小になりました。

一旦は衰退となったかのように思われたディー・エヌ・エーですが、その後モバイル端末で行うことができるゲームアプリの「モバゲー」を開発することで再び主力事業が返り咲きます。

いわゆるガラケーが主流であった頃にはかなりの売上があったものの、スマートフォンが登場したことにより多くのアプリが参入することになり再び売上が大きく落ち込むことになります。

南波氏はそうした上下の変動が激しいディー・エヌ・エーの企業運営の中にあり、2011年には病気療養中の夫の看病に専念することを理由にCEOを退任しています。

しばらくは表舞台に出ることもなかった南波氏なのですが、2016年から起こったキュレーションサイトの盗用問題が起こったことで、再び経営の場に出て来ることとなりました。

球体経営が南波氏の考える組織

IT事業が日本で流行しはじめた頃より、ディー・エヌ・エーは大きな存在感を持っていました。
これは南場智子氏が組織運営において「球」ということを意識していたことに大きく関連しています。

南波氏が社長就任時より唱えていた「球」による組織とは、上下のヒエラルキーがなく社員全体の意見が反映される形のことです。

IT業界は日本国内に当たり前にあった年功序列的な組織ではなく、新しい感性を必要としていたところに新たな人材育成の形がありました。

そうした新たな国内企業としての形をつくろうとしたことも、南波氏の大きな実績であると言えます。
しかし家庭の事情もあり結果的には一時南波氏はディー・エヌ・エーを退き、その間にキュレーションサイトの著作権の問題という新たな社会問題に直面することになりました。

この問題を期に南場智子氏が再びディー・エヌ・エーの経営の中心的な役割として復帰をすることがアナウンスされています。

夫の病状も回復に向かっているとのことで、今後はフルタイムで経営に傘下できるようになった南波氏の活躍に注目です。

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マーク・アンドリーセン

ウエブ・ブラウザの発明家「マーク・アンドリーセン」

IT業界で活躍する企業家と同じように、マーク・アンドリーセンも9歳という非常に幼い年齢でコンピューターに精通し、すでにプログラミングを始めていました。
幼いころに培ってきた能力は、とても大切だということがこうした企業家、発明家からわかります。
図書館で借りた本を読み、そこから同額で学んだという話を聞くと、本当にコンピューター、プログラミングが好きで、もっともっと深く知りたいという探求心を幼いころからもち努力したということもわかります。

高校生の時代には初歩的なコンピューターでできることはやりつくし、大学に入学してコンピューター科学を専攻しても非常に退屈な毎日だったといいますから驚きです。
しかし彼がやっと興味を持てる者が登場します。
それは、スイス物理研究所CERNの研究、ワールドワイドウエブの開発でした。
このワールドワイドウエブの開発によってたくさんの研究者が情報交換を可能にしているということを聞きつけたのです。

仲間とともに作ったブラウザ「モザイク」

ワールドワイドウエブをグラフィックで見ることができ、もっと簡単に操作できるシステムを開発したのです。
大学を卒業するとき、マーク・アンドリーセンに声をかけてきたのはジム・クラークという人物です。

ジム・クラークはシリコングラフィックスを創立した方で、マーク・アンドリーセンを得たことによってモザイクコミュニケーションズを共同設立することになります。
のちにネットスケープナビゲータと呼ばれるようになったブラウザは、それまでインターネットの世界とかけ離れていた一般の方々にも、インターネットを体験できるものとして、大きな反響を呼びました。

戦いの中でたもの

その後はブラウザに関してビジネスの競争が始まり、ネットスケープはマイクロソフトに負け、AOLに買収、マーク・アンドリーセンもしばらくそこでアドバイザーとしてかかわっていました。

その後、様々なスタートアップの創設、さらにそのほかのスタートアップに投資を始め、アンドリーセン・ホロウィッツを作り現代では非常に大きな投資会社として知られるまでになっています。
マーク・アンドリーセンが投資した先は、フェイスブック、スカイプ、ツイッターと現代こそ名をはせる企業ですが、当初はまだまだ将来が見えない状態の企業です。
しかしマーク・アンドリーセンはこれまでの経験を活かし、これから先、花開く企業を見つけ出す能力を身に着け、成功を収めていったのです。

紆余曲折があり、努力が報われなかったことも、戦いに敗れたこともあるマーク・アンドリーセンは、他の投資家、企業家にはない実績と経験があるからこそ、現代、他の投資家や企業家と一線を置く存在となっているのです。

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ラリー・ペイジ

知らない人はいない?グーグルを作り出した人物

日本でもインターネットで何かを検索するとき、グーグルを利用するという人は多いです。
また地図に関しても地球の上から検索できたり、道路を走りながら道をたどっていけるストリートビューなど、こういうものがあったらいいなと思うサービスが、グーグルによって実現しています。

このグーグルの歴史はラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンの研究から始まったものです。
二人の研究は統計的手法等を利用しデータ内から役立つ情報を抽出する技術、そうです、まさしく現代のグーグル検索の歴史がこの研究から始まったのです。

ラリー・ペイジらはバッグラブ、というシステムを1996年に作りました。
これはネット上のリンク情報を使い検索された言葉にふさわしいページを探すというもので、今でこそ私たちが情報を得たいとき、また特定のホームページなどを探したいときに利用する機能ですが、当時、こんなことはできるはずもない技術だったのです。
しかしこの技術をシステムとしてしっかり作り上げたラリー・ペイジらは、よりビジネスとして確固たるものとするために、1998年、グーグルという企業を創業したのです。

問題をクリアすることで歴史がさらに進んだ

グーグルを当初考えられないような技術をもって事業を進めるにあたり、とてつもないデータ量を処理、保存するための大量のコンピューターが必要という問題がありました。
そのため膨大な資金が必要となります。

さらに検索エンジンを使いそれを収益に結び付けなければならないという経営上の問題もあったのです。
ベンチャー企業として資金を募り設備投資に躍起になっていたのですが、2000年、2003年とアドワーズ、アドセンスという広告サービスの展開によってこの大きな二つの課題を見事にクリアします。

これから先はみなさんもユーザーとしてご存知の通り、グーグルは検索サイトとして世界中から利用されるようになり、一大企業にのし上がりました。
1998年、ベンチャー企業として名乗りを上げたグーグルという企業が、ナスダックに上場するのに時間はそれほどかからず、2004年の8月には上場を果たし、さらに2006年Youtubeの買収に成功、2011年には携帯電話事業のモトローラ・モビリティの売種に成功しました。

ラリー・ペイジという人物

恵まれた家庭に生まれたということも、ラリー・ペイジの活躍の根源となっているといえます。
6歳の時点でコンピューターをいじることができる環境にあったのです。
父はミシガン州立大学の計算機科学、人工知能教授という立場にあり、母親もミシガン州立大学でコンピュータープログラミングの教師という過程です。
自然とコンピューターに近い状況にあったということが、ラリー・ペイジという企業家を成長させたといっていいでしょう。

ミシガン州立大学で計算機工学を学び、1995年には計算機工学の学資を取得、スタンフォード大学の計算機工学の博士課程に進み、ここで検索エンジンや情報アクセスに関係する研究に携わり、彼がグーグルを起業する知識を養い・・・こうしてみると、コンピューターに近い環境に生まれ、その中で自分をしっかり成長させていったという状況が見えます。
もちろん彼が努力を重ねたということが何より、成功の秘訣となったこと、問題が起こってもあきらめることなく邁進したということも、現在の彼の地位を作り上げた要因となっています。

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イーロン・マスク

電気自動車会社テスラモーターズのCEO「イーロン・マスク」

イーロン・マスクの趣味は子供と遊ぶこと、そして映画鑑賞という家族を大切にするお父さんといったイメージです。
しかしイーロン・マスクは、2007年までマクラーレン・F1のオーナーを務め、さらに日本の総理大臣とも会談したこともあるすごい人物で、大手電気自動車メーカーのテラスモーターズ社会長兼CEOという、世界でも著名なセレブです。

南アフリカ人の技術者だった父とカナダ人の母の間に生まれ、すでに10歳の時にはコンピューターを買ってもらいプログラミングを独学で学び始めたといいます。
商業ソフトウエアを初めて「販売」したのが12歳、高校時代には大学入学資格を得て親の援助なくして独立、アメリカへの移住を目指しました。

彼曰く、「すごいことを可能にする国」アメリカのペンシルベニア大学ウォートン・スクールへ奨学金を受けて入学し学位を取得、この当時から彼の脳裏には、人類進歩のために貢献できる分野にインターネット、宇宙、またエコに関連することなどを挙げています。
彼もまた、Boxの創業者アーロン・レビーのように先見の明に優れていたのかもしれません。

躍進的な活躍

彼が人類の進歩のために重要な分野としてエコ、クリーンエネルギーをあげていますが、スタンフォード大学院では高エネルギー物理学を学びに入学しています。
しかしたった2日で退学、弟のキンバル・マスクと一緒にオンラインコンテンツ出版ソフト会社を作ります。
のちにコンパックに買収されたZip2社です。
買収によって多額の現金、さらにストックオプションによって得た費用を手にします。

1999年にはX.com社の共同設立者、のちにコンフィにティ社と合併、2001年にPayPal社となり、さらに宇宙輸送のロケット製造を行うスペースX社を作りました。
これもまた、彼が大学時代から人類の進歩に必要なこととして挙げていた宇宙に関係する事業です。

さらに電気自動車のテラスモーターズに投資、この企業のファーストモデルとなっている0001を所有し、2008年、会長兼CEOに就任したのですが、やはり、世界に名を連ねるすごい人というのは、持っていた夢、ビジョンを明確に目的として、最終的にやってのけえるすごさがあります。

著書にあるように未来を作ったと感じるイーロン・マスク

彼の著書の題名は「イーロン・マスク 未来を創る男」です。
大学のころから、将来必要になること、人類が進化を遂げるために必要なことは宇宙、クリーンエネルギー、そしてインターネットと掲げていたイーロン・マスクですが、その分野に精通する人物に現在なっているということがこの人のすごいところです。

現代の偉人、世界的に有名な企業家というのは、みんな、この目標を崩さず最終的にそこにたどり着いているというとんでもない偉業を果たしています。
でも、できる人がいるのですから、イーロン・マスク達の偉業は、この先未来を創る子供たちに明るい希望を与えることとなっていくでしょう。

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アーロン・レビー

クラウドサービスの「Box」創業者「アーロン・レビー」

20歳、南カリフォルニア大学に在学している最中にBoxというストレージサービスを立ち上げたアーロン・レビーは、学生寮でBoxを立ち上げたことで知られています。
その後、Boxは毎年収益を倍増させ、すでに1億ドルを稼ぎだす企業となっています。

現在は、カルフォルニア州、ロス・案と酢を皮切りにサンフランシスコ、パリなど佐々間な地域にグローバル展開し、投資家が最も注目する企業となっています。
アーロン・レビーは、努力なくして世界に名を知られる企業家となったわけではなく、たぐいまれなる分析力や見極めの力、物事を長期的にとらえる能力を駆使で来たから、今世界に名を連ねる企業家となったのです。

アーロン・レビーの先見の明

クラウドストレージは、差別化が難しいものだということをアーロン・レビーは早くから理解し、Boxのユーザーとしてターゲットを個人から法人に切り替えたのです。
法人が利用するということもあり、デザイン性を重視し、さらにこれから先はモバイル端末の世界になるということを早くから察知し対応しました。

先見の明と物事を長期的に見つめるアーロン・レビーの能力がここでも発揮されたのです。
彼は、テクノロジーについての返還、シフトは10年から15年という長いスパンでしかやってこないのだということを口にしています。
長いスパンで物事を考える、プランを練ることができるというのは大物企業家の特徴ともいえます。

アーロン・レビーは能力だけで成功したわけではなく、知性とそれを活かす情熱も持っています。
仕事にとりつかれているのではと思うほど、24時間行動していたといいますし、Boxに投資しているAndreessen Horowitzの経営者に言わせると、彼は闇の中でも光る実業家と表現されるくらいで、その人柄も行動も、人を引き付ける魅力にあふれているといいます。

ボックスはトロイの木馬のよう

今多くの方が利用しているフェイスブックにしても同じことが言えますが、多くの人、周りの人が利用しているから利用するという人が多いです。
Boxも周りの人が利用するから利用する、同じものを利用しているほうが何をするにも楽だからとして広がっていきました。
さらにほかのファイル共有サービスと比較すると、圧倒的にボックスのほうが優れていて、使い勝手がよく、何より誰でも簡単にファイルを贈ることができるというストレスのなさに、多くの人たちが関心したのです。

この素晴らしく使いやすいボックスに感心したのは個人だけじゃなく、企業で重いファイルを操作する社員も同じです。
Boxはベーシックユーザーとして無料で利用できたため、簡単に利用できましたし、利用するユーザーが多くなれば当然有料プラン、セキュリティが強固なものに移行します。

企業の社員が使いやすいと使い始め、企業内部にユーザーが広がっていくことで、企業として管理者が利用するものとなっていく、トロイの木馬のようにジワリと広がっていったBoxは、まさしく企業の従業員が使いやすいものを作ることが大切というアーロン・レビーの考えに基づくものです。

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